2005/11/11

173年ぶりに帰国した?音吉の運命を乗せた船  歴史(音吉/大黒屋光太夫/源義朝)他

9月27日のこの日記で、今年2月に中部国際空港へ(遺灰が)帰国した、漂流民、音吉の事を詳しく書いたが、本日11月10日付の中日新聞が、その時の船を再現し、そのレプリカとしての宝順丸を再び渡米させる試みがあると、報じていた。日本ボーイスカウト兵庫県連盟が、姉妹都市、ワシントン州の博物館「マカー文化研究センター」に寄贈するというニュースだった。このレプリカは、音吉の乗った千石船(宝順丸)が、1年2ヶ月間、太平洋の荒波を乗り切れたという、如何に「頑丈な造り」であったかを物語っている。同連盟は既に、ジョン万次郎よりも、一足早く米国の地を踏んだ日本人達の記念碑を、漂着し、インディアンの捕虜になりながら半年間過した地の傍、「フォート・バンクーバー国立史蹟公園」に建立していた。(1989年)更に同連盟は、赤穂市の船大工に依頼して、実物の役10分の1にあたる「宝順丸」を造らせたのだそうだ。
クリックすると元のサイズで表示します 宝順丸等「千石船」と呼ばれた船の絵

その船へ正に運命までを乗せられてしまった、音吉らの望郷の念の儚さは、三浦綾子さん著「海嶺」にも、記されている。2度の帰国を試みるも、幕府の「異国船打ち払い令」に阻まれる。その下りは涙無しでは、読むことが出来ない。結局、彼らは故郷の地を踏めぬまま、音吉はシンガホールに移り住み、貿易の仕事で成功した資金を、後の漂流民達を助け、帰国させる資金に費やしている。その中の帰国した一人に音吉が語った言葉が、残されている。

「我16才(数え年)にて漂流し、父母へ一つの孝養も得遂げざるのみか、
却って大いなる嘆きを掛けたれば、朝夕これのみを思いつづけ、
心に忘るる隙なし。この上せめて、国の漂流民を世話して帰国せしめ、
父母の冥利とも致さんと思う。」


「私は、16才で、漂流してから、親孝行の一つもできず、かえって大きく悲しませてしまっている。朝に夕にこの事のみ、思い続けて来た。せめて、自分の母国の漂流民を救い、親の恩に報いたい」と、このような気持ちで、自分の無念さを、帰国する者に託したのであろう。私は、万次郎然り、日本の歴史上に、このような史実を、もっと登場させるべきだと、思っている。彼ら知名度が低すぎるのは、やはり漁民という当時は、身分が低い立場てあった所以だろうか。。。
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話は逸れるが、ジョン・万次郎は、アメリカでは「アメリカ建国200年に貢献した外国人29傑」の1人に選ばれ、敬愛されているのだ。特に万次郎が暮らしていた、マサチューセッツ州、フェアべヴン近郊では、一万円札の福沢諭吉より、知名度が高く、渡米後、僅か3年間の間にアメリカでの高校卒の学力を身に着けた天才児として、更に捕鯨の達人としても、尊ばれている。私がフェアヘヴンに行った時は、日本人である事が誇りに思える程の歓迎ぶりであった。この万次郎については、日を改めて記することにする。
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さて、音吉ら3人には、先の日記にも記述したように、日本人で、初めて聖書の翻訳をしたという偉業も残っている。半年間のインディアンの捕虜生活から、インディアンと貿易をしていたハドソン湾社のイギリス人の手によって解放され、日本人として、初めて渡英する事になったのだが、その英語に対する解釈の仕方がとても、面白かったので一部記して置きたい。

音吉(14才)ら3人は、ハドソン湾社を通してイギリスに入国し、マクラフリン博士の家へ案内される。

「カム、オン。カム、オン。」 と言う、マクラフリン博士。
久吉(15才)が、船頭の岩吉(28才)に向かい
「舵取りさん(岩吉のこと) あの旦那が、『かまわん、かまわん』と言っとるで。
『かまわんから、上がってこいや』ということや ないか?」
岩吉は「違う、あれは異国の言葉や。」と一言。
「なんや、『かまわん』と言っとるのと違うんか。俺もそう聞こえたわ」と音吉が言った。

クリックすると元のサイズで表示します    三浦綾子著「海嶺」より引用
尚、更に新聞の記事によると、寄贈者側の同連盟、元理事長の佐野氏は「漂流して生き抜いた3人のうち、音吉と久吉は、ボーイスカウトのメンバー達と同じ世代。望郷の念に、かられながらも、世界を回った不屈の精神力と忍耐力、そして国際理解を身につけた彼らの史実を、学んで行って欲しい」と話していたそうだ。飛行機が世界各国を身近にした現代、ボーイスカウトの若者達が、この寄贈を契機にして、音吉達のような柔軟性のある心で、世界へ大きく羽ばたいて欲しいと、心から願っている。
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◎参考 千石船とは?
元々は、ただ「米を千石」積む船であればそれを千石船と呼び、特定の船型があった訳ではない。しかし江戸時代になって千石積級の荷船(廻船)がごく普通に使われるようになると、大型廻船を代表するという意味で、千石船の呼び名が普及して行った。
○このダイアリー内で、音吉について詳しく書いているページ
URL  http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/20050927/archive
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2005/11/11  21:51

投稿者:ほたるさん

☆aoiさんへ
長い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。
音吉達の事って、残念ながら、殆ど知られていないのですよね。やっと帰国出来ると、富士山が見えているのにも関らず、砲撃を受けてしまう時には、泣けてきます。外国に行きたくて行った訳ではないのに。。って。。その帰国シーンを中心に西郷輝彦さんが主役で、映画化されているようですが、ビデオも見当たらなくて、淋しい限りです。私は「大河ドラマ」までは無理でも、「その時、歴史が動いた」ぐらいで取上げて欲しいです。NHKに投書しようかなって真剣、思いました。

また、万次郎については、ボストンに行ってから書きますが、とにかく、凄い人なのです。お楽しみに?です。因みに、万次郎の息子さんは、東大医学部出身で森鴎外と同期です。今回、フィアヘヴンにも、行く予定なので、万次郎の住んでいた家とか、撮って来ますね。と言いつつ、仕事も追い込みで忙しくています。あすなろ君と化し、先送りにしていた荷造りも、始めました。フェンウェイのシート増設、終わっているかなぁ…ティムリンのTシャツ、売っているかなぁ…と想像だけが、膨らんでいます。

2005/11/11  17:33

投稿者:aoiさん

前の音吉記事、今読みました〜♪
おぉう。大変だったんですね・・・
捕虜だなんて。
故郷に帰らせてあげたかったですね。
そして万次郎はマサチューセッツですか〜〜
フェアヘブンてボストンから1時間くらいで行けるんですねぇ
それだけで親近感!笑

http://blog.so-net.ne.jp/aoi/

2005/11/11  13:58

投稿者:ほたるさん

☆ほにゃさんへ
遥々、海を越えようこそ!!!おはようございます。朝起きて、ブログ開けて、ほにゃんさんからのコメント、嬉しかったぁ。音吉の事、時間があったらば、9/27の投稿、読んでやって下さい。もう少し、詳しく書いています。。宝順丸の乗り組員は14人いて、遭難して発見されなかった為、お墓が建てられていたのです。家から、結構近いのですよ。そのお墓にお参りもして来ました。今年、やっと遺灰となって帰国出来き、そのお墓に入れたのです。(涙)
ご存知と思いますが、万次郎の英会話っていうのが、あって、「掘った芋いじるな」が有名ですが、私的には、「揚げ豆腐」(I get off.)が好きで、ボストンでバスから降りる時に、「アゲドーフ」って言ってみました。通じたですよ。見事に!ははは。

ところで、知り合いからメールが来て、ダイアリーランキングに入ってるよ…との事。昨日は321人もの方に、お越し下さって嬉しいやら、びっくりするやらでした。ランキングを見てみると、ほにゃさんのブログもあって、更に嬉しかったです。お友達の多いほにゃさんですから、アクセスは多く、何度もあるのでしょうね。。私は知人は多くても、友達少ないので(笑)最初で最後だと思うけど、純粋な訪問者様に、心から感謝です。。音吉は偉大で凄いけど、ほにゃさんは、面白くて(こりゃ、また、失敬)凄いですよ。面白いは、「ちょうちんブルマ」に言われたくないですよね。また、遊びに来てねー。もうすぐ、実際の距離も、ちょっと近くなるし。。うーーー。荷造りが。。。頭痛いです。では。

2005/11/11  7:26

投稿者:ほにゃさん

おはよう〜♪
ほんとだ、おもしろいよ!→「かまわん!かまわん!」

音吉さん、ほんとうにすごいねぇ…
おかえりなさい。

http://diary.jp.aol.com/8dpubd4/


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