あと旬日を出ずして餅搗きの音が其処此処から聞こえて来る筈だ。その餅搗きの音にさえ気兼ねしている妻であった。
昌樹が、柴田の家の門を通してもらい、裏庭伝いに入ってきた。
「まあ、この風の中をー」
さだが、驚いていた。
「所在なさそうだの」
昌樹は、何時もより元気だった。座につくと、彼は、昨日、加賀美桜塢の家で大神以貞という京都の神主に会い、元気なその男に京都のことをいろいろ聞かされ、大いに啓発されたと語った。
京都に鬱勃ともり上りつつある学界の消息や、底流していた強力な思想が若い公卿たちにまで燃え移りつつあることを、歯に衣きせぬ明快さで語られ、日中へ出たような気がしたと言った。桜塢が、軍治にも、是非会わせたいと、しきりに残念がっていたと告げたりした。
「どんな人ですか?」
「和州手向山神社の神官だそうだが、京都では正親町三條家の支流に当たる花園公に仕えているそうだ」
「何用で来られたのですか?」
「諸国神社名称改めのためだそうだが、しかし、甲州へは帰途立ち寄ったまでのことだそうだな」
「若い方ですか?」
「若い方だ。私くらいか、ことによると二つ三つ上かも知れぬ。大柄で、元気で、少し吃で」
「どんな話?」
「私たちは、終始聞き手だった。大神殿の前では私たちは、学問のための学問をしていたようなきがしてーー」
「どうして?」
「何か学問を貫く生命が希薄であるようなー」
「ほうー?」
「大神殿の学問は生きている。さして博い学識であるとは思わないが、その学問が、畑から取り立ての野菜のように新鮮なのだ」
「学風は?」
「勿論、程朱学派だ。大神殿の師は、竹内式部というお方だそうだがー」
「ー聞きませんね」
「名前だけは私は聞いていたがー。大神殿の話では、相当なお方らしい。竹内殿は松岡忠良や玉木葦斎の弟子だそうだがー」
「松岡忠良と言えば、若林強斉門のいつざいですね」
そこまでくると、軍治にも、その学風が大分はっきりしてきた。

0