アナザーストーリーズ・羽生結弦4フェルナンデス編
しつこいようですが「アナザーストーリーズ」
NHKのwebスポーツストーリーに上がっているのでそのタイミングで
NHKスポーツストーリー
https://www.nhk.or.jp/sports-story/detail/20190228_3576.html
フェルナンデスが語る「羽生結弦"最強"伝説」
〜ライバルにして親友 背中を見せ合い続けた2人〜
前にもハビエル部分を書いたが、今一度
ハビエルさん全文を載せます
*画像が多すぎるので、全部入るか分かりませんが(^-^;
https://www.excite.co.jp/news/article/Otonano_178/
ハビエル・フェルナンデスが有終の美。
羽生結弦と共に歩んだMr.ピースフルに、全力のありがとうを!
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右足首の大怪我
深刻なトラブルが羽生に襲いかかっていた
その時、大きな支えとなったのは
金メダルをめぐる最大のライバルでもあった、この男だった
*オリンピック直前
怪我でなかなか表舞台に立てなかった羽生選手
もはや出場は無理だという憶測まで飛び交います
反論しない彼に対し
一部から謂れのない批判や中傷も向けられた
しかし彼は戻って来ました
*第三の視点
そんな羽生選手の、
挫折と復活の日々をもっともよく知る人物
平昌オリンピック男子銅メダリスト、ハビエル・フェルナンデス
同じコーチのもとでずっと切磋琢磨して来た親友同士
平昌オリンピックでも最大のライバルの一人だった彼
羽生選手の復活劇をどう見つめたのか
氷の上で繰り広げられた熱き友情のアナザーストーリー
あの日、羽生が演技を終えてもまだ金メダルが取れるかどうかは
分からなかった
それは次に彼の演技が控えていたからだ…
ダイナミックな4回転と羽生よりも高い得点を得たステップ
羽生には敗れたが
母国スペインに初のフィギュアスケートのメダルをもたらした
ハビエル・フェルナンデス
「金メダルは彼に取られちゃったけれど、僕は満足していました。
だって最高の勝負をして3位になる方が、
お互いミスを連発して、たまたま1位になるよりずっといい。
ずっと一緒に練習して、互いの背中を追いかけてきたからね。
彼が最高のレベルで戦いの場に戻ってきてくれて、本当にうれしかったよ。
オリンピックの前にあれだけ辛い時期を過ごしていたからね」
*視点3
ライバルにして親友
背中を見せ合い続けた2人
☆羽生とフェルナンデスの深い友情が育まれ始めたのは
2012年、羽生がカナダのクリケット・クラブに入った時
フェルナンデスは羽生よりも1年前入門した兄弟子だった
「彼が来ると聞いて、えぇーと思いました。
あの頃はまだ試合でちょっと顔を合わせる程度でしたからね」
バンクーバーオリンピックで韓国のキムヨナを金メダルに導くなど
指導力に定評力があったブライアン・オーサー
だが羽生がここを選んだ理由はそれだけではない━
「蒼い炎U

「ハビエル・フェルナンデス選手の4回転の確率の高さは、
大きなきっかけになりました。
本当にこの人を目指してクリケット・クラブに入ったわけだし、
自分が跳べなくなってイメージが見えなくなった時、
そばにイメージを作れる人がいる。
ハビエルがいると負けたくないって思う」
「ユヅルの言っていることはよくわかります。
僕だってそうだったから。
何かの技をやりたければ、
側でそれができる人の演技を見るのが一番なんです。
でも、ただ見て真似するだけじゃない。

“彼があのスピードでできるなら、
僕はもっと速いスピードでできるはずだ。
もっと上手にできるはずだ”と思うんです。

僕と結弦はそうやって互いに背中を追いかけ合うことで、
どんどん上達していったんですよ」
*バンクーバー以降の第一人者は世界選手権3連覇の
パトリック・チャン
だが羽生もフェルナンデスもしかと上位に入っていた
二人は同じクラブで切磋琢磨しながら
来たるソチオリンピックへ臨んだ
☆ 2014年2月ソチオリンピック
パトリック・チャンなど、次々ミスが連鎖したこの大会
フェルナンデスも飛び過ぎ違反で4位
羽生自身も金メダルは取ったが
ミスについて反省し、自らの出来は不本意だと発言していた
だが・・・
「金メダルは、そんなに簡単に取れるものじゃない。
ユヅルは強い。
僕が心底そう思わされたのがあの大会でした。

みんな忘れがちだけど、
彼はあれ(ソチ)が初めてのオリンピックだったんです。

(パトリック・)チャンも僕も4年前の大会に出ていたけれど、
最初のオリンピックというのは舞い上がってしまって
すべてが巨大に見える。
そんな中でユヅルは堂々と演技した。
みんながミスをしていたけれど、
初出場の彼の演技が一番だったのは、結果が示しています。
この先、彼は勝ち続ける。
負けてはいられない。そう思いました」
フェルナンデスの言葉どおり
ソチのあと、羽生はトップを走り続ける
そんな彼の背中をフェルナンデスは必死に追いかけた
「僕たちの練習場には、
世界選手権やオリンピックでメダルを獲得した
選手の名前を掲げる場所があるんです。
あそこに僕も名前を載せたいとずっと思っていた。

だから2015年の世界選手権に初めて優勝した時は、
真っ先にあれを見に行きました」
*2015年、中国の上海世界選手権で
フェルナンデスはオリンピック王者の羽生を破り
優勝した
結果を受け、羽生は人目も憚らず涙した
だがそれは負けた悔しさだけからではなかったと
フェルナンデスは言う
「彼はもちろん悲しかったんですよ。
勝ちたかったんですから。
でも同時に、僕の勝利を喜んでいたんです。
彼はこう言いました。

『勝ったのが君で本当にうれしい。

僕は今日は頂点にいないけど、
そこからの風景を君と一緒に見ている』と。
僕にはその意味がよくわかりました。
同じ高みに立っているんだ、ってね。
僕はあの時からユヅルと真の友になれたと思います」
互いに認め合った二人
ここから世界を驚かせてゆく
羽生が世界初、トータル300点越えを達成すると
そのあとフェルナンデスが同じく300点を突破
得点もタイトルもトップレベルの二人
平昌オリンピックは二人にとって決戦の場と位置付けられた
だが…
平昌オリンピックの3か月前に起こった羽生の大怪我
一報はフェルナンデスの元にも届く
だが彼が心配したのは
怪我よりも別のことだった
「僕の母国スペインでは、正直、
フィギュアスケートが報じられることはごく稀です。
それに対して日本は、フィギュアスケートの人気が高い。
高過ぎる。
案の定、あの怪我の時、
頂点に立つユヅルに何とか隙を見つけようと、
妬みや嘘があちこちに溢れましたね」
人気の高さゆえに
あちこちから湧きつづけた嘘やゴシップ
こうした声が羽生不在の間にさらに高まることを恐れたフェルナンデス
「ユヅルは、
どんなことからでも演技に生きるものを得ようという貪欲な人です。
だから落ち込む時はとことん落ち込んでしまう。
『頂点に立つ選手の秘密を知りたい。噂を立てたい』
そんな気持ちはわからないでもない。
でも、だったら真正面から取材してくれればいいんです。
ユヅル本人もコーチも、
ちゃんと報道の依頼には応じていますから」
Q:当時(リハビリの間)彼に会いましたか?
「面と向かっては会わないようにしていました。
彼は時々リンクに出て練習しようとしては、すぐに傷が痛んで下がる、
という状態でしたからね。
僕らはお互いの怪我について話したりしません。
ユヅルに求められれば何だって手伝いますが、
彼にはお母さんをはじめ、
ケアしてくれる人がたくさんいる。
僕らのように高いレベルで競い合っている場合、
求められるのは変わらず、

背中を見せ続けることなんです」
「『僕の背中を見ろ。
僕はレベルを保って君との戦いを待っているよ』
ってね。
実は僕は、落ち込んだからこそ、
彼はとんでもない復活を遂げるんじゃないかと思っていました。
ユヅルはすべてのマイナスを一気にプラスに変えられる。
それだけの力を持った人間ですからね」
*2014年グランプリシリーズ中国杯
試合直前の練習中に選手と衝突し、大怪我した時も
頭に包帯を巻いて試合に出た羽生
平昌までの4年間
手術や幾度もの怪我を経ながら
つねに戦いの場に戻って来た
オリンピック直前の羽生の怪我を受け
メディアは新たな優勝候補として若き才能に注目したが━
Q:2018年のオリンピックの前は誰がライバルだった?
「ユヅルですよ。

僕のライバルはユヅルだけです。
僕が完璧に、完璧にプログラムをこなせば、
昌磨やネイサンには勝てる。
でもユヅルは僕が完璧にプログラムをこなしても、
常に僕より高い得点を出しました。
いつも少し上、少し上。
僕には彼の背中しか見えていませんでした」
*たとえ怪我をしていようと
羽生の背中だけを見つめていたフェルナンデス
そこに羽生はもどって来た
二人の究極の戦いが
はじまる
最高のジャンプ
最高の表現力
フェルナンデスも続く
ショートプログラムを終えて
羽生1位、
フェルナンデス2位
ともに切磋琢磨し
世界のタイトルを争って来た二人の名前が
並んだ
「僕はそうなると思っていましたよ。
みんなユヅルの復活に驚いていましたけれど、
彼ならやると思っていました。
そして僕は彼の背中を、誰よりも近くから追いかける。
いいぞ、最高の戦いじゃないかと思いました」
「これ、初めて見ます。初めて。
僕は自分のも見ません。
演技は見るものじゃなくて、見せるものですから」
4サルコウ
4トウ
アクセル
「さすがだねえ」
ステップシークエンス
「楽しんでるね
見ればわかる。
「だから僕は言ったでしょ。落ち込んだ分、戻ってくるって」
Q:ユヅルの直後の演技でしたが、
会場の興奮の影響はありませんでしたか?
「いいえ、ありませんでした。
あの舞台で彼がいい演技をしない訳がない。
だから何も影響はありませんよ。
今度は僕が応える番、それだけです」
Q:表彰式の前、何を話していたんですか?
「この時はまず、ユヅルとショウマにメダルと演技についておめでとう、
と言いました。
そしてユヅルにこう言ったんです。
『君と競えたことは僕の誇りだ。
実はこれが君と戦う最後の試合なんだ。
僕は引退する』って。
実はあの時までは誰にも言っていませんでした。
ヨーロッパ選手権に出る約束はあったのですが、
ユヅルは日本の選手なのでヨーロッパ選手権には出場しない。
だから、本当に最後の試合になる。
今しかない、と思って伝えたんです。
ユヅルには『最悪だな、お前』と言われましたよ。
だって、あんなタイミングで伝えたから。
でも、僕はここだと思ったんです。
最高の戦いの後だったからね。
一番告げたい相手と一番いい場所にいられて、
本当に良かったよ」
フェルナンデスが正式に引退を発表したのはこの9カ月後だった・・・。
「世界を驚かせたニュースを最初に伝えたのは、
オリンピックの頂きを共に目指した最高のライバル。
最高の友だった。」
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ハビエル・フェルナンデスは、始め、
ロシアでニコライ・モロゾフのコーチを受けていたらしいが、
コーチングが合わなかったらしく、精神的に不安定になり、
カナダのクリケットへ来たと、どこかで聞いた。
羽生結弦より1年くらい先に、トロントのクリケット・クラブの門を叩いた。
そこが彼に合っていたらしく、実力もついて来たらしい。
けれども、私はハビエルさんが
ソチ・オリンピックに出ていたことすら、
まったく記憶にないのだ(>_<)アチャー
ソチでは、ザヤックルールに引っかかり、総合4位だったらしい。
(それも記憶が…)
しかしあのころ、
珍しく4サルコウと4トウの2種クワドが飛べる選手として、
何となく名前を聞いたことがある、という程度。
ただ、それでもソチまでは、それほど目立った選手だとは思わなかったのは、
(お茶の間だけ観戦の、記憶の薄い、私だけの感想かもしれないが)
ミスが多くて、なかなか上位にならなかったから、
記憶に残らなかったのではないか、という気がする。
怠け者という話も聞いていたし
(オーサーが呼びに行かなければ、練習に来ようとしなかったらしい)
才能はあるが、あまり野心はなかったのかもしれない。
或いはトップになりたいという野心はあるが、
体がついていかなかったのかもしれない
それが、羽生選手がクリケットへ行き、
すぐ近くにライバルが現れたことで、切磋琢磨することにより、
ハビエルの才能も開花したのではないか。
私は、そう思うのですが…。
羽生選手は、ハビエルとは正反対の、野心満々の選手。
ハビエルともメラメラするのではないかと予想していたらしいが、
ハビエルがあまりにも優しいので、
競技には向いていないのじゃないかと言っていた。
それでも、始めに、ハビエルが羽生選手をクリケットに来ることに
賛成してくれたおかげで、
羽生選手はサルコウを習得したのをはじめ、
その実力もめきめき伸ばすことが出来た。
ハビエルさんの寛大さがなければ、それは叶わなかった。
羽生選手がハビエルを抜き、ソチ・チャンピオン、世界のトップになり、
羽生選手は多分、実力は、
ハビエルより、自分の方が上だと思っていたと思う。
それでもハビエルさんは、羽生選手の「自分が一番」という気持ちを
妬むことなく、受け入れていた。
優しく、包み込むように、やんちゃな羽生選手を、
「君が本当のチャンピオンだ」と
そう言える度量があった。
暖かく、優しく、激しい気性の羽生選手を、いわば一歩引いて、
許してあげていたのではないだろうか、と。
けれども、このインタビューを聞くと、
羽生選手をライバルとして、勝つ機会があれば勝つ、
自分も羽生に勝ちたい、
そんな対等なライバルとして、正しく、
スポーツマンシップに溢れた人物だと感じた。
二人のクリケットでの、奇跡的なライバル関係は、
ハビエルさんの包み込むような優しさと同時に、
ライバルとしての強さ、
確かに綺麗事だけではなかった筈だが
(安藤さんと恋仲になった時など笑)
羽生選手もハビエルの大きさに影響を受け、
ハビエルも羽生選手の競技にかける一途さや、
トップになるために努力を惜しまない姿勢に影響を受け、
自分もやる気を出し、スペインのために頑張ろうと思ったのだろう。
互いに背中を見ていた関係だったから、
醸成された理想的な関係だったのではないだろうか。
そんな風に思う今日この頃である・・・
それでは、最後にエピローグへと
つづく
(えーッ
また?)
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