押入れの板戸に指を挟んでしまい、中指と人差し指の爪の付け根から血が出た。
しばらく血が止まらなかった。こんなに流血したのは久しぶりだ。
押し入れの戸は改築してから、重くて大きい、見るからに安っぽそうな白のクロスを貼った、詰まらない戸になってしまった。
私はこのクロスに石綿が使ってありそうな気がしてならないのだが、それくらい嫌いな押入れの戸に挟まれてしまったので憤懣やるかたがない。
母親が何かぶつぶつ言っていたので、それに気を取られて戸を開ける加減をしそこねたのだ。それで母にもむっとする。
洗いものをする時に不自由でしかたがないのだ。
と、そんなことはさておき、船岡山マンション開発問題の記事が新聞に出ていた。
地元住民が京都市に何とかいう要望書を提出したらしい。
これは、テレビのニュースでもやっていた。
とにかく、船岡山問題がまだ解決していないということが、これでやっと市民に認知されたかもしれない。
マンションを建てようとしているのは名古屋の業者だということを知った。
どうせ名古屋だからあこぎなことをしているのだろう。
まあ、東京も京都の業者も変わらないとは思うけれど。
京都市は、マンションの高さを規制するなどの行政指導を入れて、業者側がそれに応じた時点ですべてが済んだ、丸く収まった、ばんばんざい、という態度だったようだ。
けれども、船岡山の中腹にマンションが建つということ自体の、地元住民の精神的な苦痛を考慮していなかったと思う。
すべてがお役所的な、手続きさえしておればいいのだ、法律上問題がなければいいのだ、行政指導は成功したのだ、という四角四面な考え方が、今回問題なのかもしれない。
もっと根本的な、景観問題という点から見て、どうして、史跡だという船岡山にみにくいマンションが建つ、という暴挙が許されるのか、ということを考えていない。
役所に正当な手続きさえすれば、何を建てても構わない。
(業者側はそう受け取ってしまう。)
こういうシステムが、一番問題なのだと思う。
もっと根本的に、景観破壊防止条例とか、京都市内、或いは市周辺に景観を破壊する恐れのあるような建物を全面的に禁止する、という、思いきったというよりは、メチャクチャな法律を施行してしまわないと、駄目なのではないか。
何度も言っているけれど、京都は景観をウリにしている都市だ。
観光でもっている都市だ。
そして、それを大事にしなければならないと言っている。
観光客数の五千万人達成を目指している。
それならば、船岡山マンションなど、もともと建てさせるべきではないはずだ。
そういう、観光都市として目指していることと、まったく逆のことを奨励しているようなものではないか。或いは野放しにしているということだ。
どうしてこういう矛盾を犯すのだろうか、それが歯がゆい。
船岡山だけではない、現在京都ではあちこちにマンションが建っている。
規制が弛んだらしいのだ。
今に始まったことではないが、町家が崩され、みにくく、どこにでもあるようなマンションが次々に建っている。
こんなことは、景観都市とはどう考えても矛盾する行き方だ。
もっと、根本的に、真面目に考え直さなくてはもう駄目なのではないか。
どこそこ周辺を景観モデル地区に指定する、というのもいいかもしれない。
だけど、そんなことをしていても、すぐ隣りの地区にみにくいビルが建ったのでは、何にもならない。
京都市全体をまるごと指定しなくては駄目なのだ。というか無駄なことなのだ。
今のままでは、京都は千年の都とか、雅とか、そんなことは恥ずかしくてとても言えない。何が「日本に京都があって良かった」なのだ。
そんな京都など、自分たちで破壊しているくせに。
京都人は、いばっている。日本で一番えらいと思っている。
けれども、今のままでは単に威張っているだけになる。空威張りだ。
威張るべきなにものもないのに威張っている、最低の人種になる。
それがいやなら、真剣に、真面目に取り組まなくてはならないのと違うか。

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