というわけで、「風林火山」が終わった。
どうも私は反応速度が鈍いので書くのが遅くなってしまった。
京都新聞のテレビ欄が、最終回の放送の前の日、土曜日に「風林火山」を取り上げていた。
最終回の放送のストーリーを、一騎打ちの写真つきで紹介している。
ファンタジックな容姿の政虎と信玄との一騎打ち場面は不思議だが新鮮、勘助の壮絶な死に様はじゅうぶんにドラマチック、などと書いてある。
そして、放送の済んだ水曜日にもテレビ欄に「風林火山」について書かれていた。
普段は俳優のインタビューや、スカパーの案内、テレビ番組についての寸評などが載っているコーナーだ。
ひとつの作品にこれだけスペースを割くのは異例なのではないかと思った。
もしかしたら京都新聞記者の中に「風林火山」好きがいたのかもしれない。あるいは全国新聞の記事の転載なのかしらん?
水曜日の「風林火山」評は駿河台大学の教授、今村庸一という人の評で、『歴史への深い洞察』というのがタイトルで、サブタイトルが『新趣向「風林火山」の魅力』となっている。
井上靖の原作とは違い、武田家だけでなく今川、北条、上杉など、当時の複雑な東日本の勢力図を描き、その中で川中島の戦いは異文化の衝突だったという新たな視座を提供したと書いてある。
貧しい山国の武田信玄と豊かな越後の長尾景虎のキャラクターの対照が配役に生かされていたとも書いてあるが、それは亀治郎が貧相だということか?
さらに、桶狭間の戦い、景虎の関東管領就任などのイベントと、川中島の戦いが相互に関連していたという描き方が歴史に対する深い洞察を感じさせたとも。
新人俳優の起用が見事で、ガクトと柴本(!)を新鮮な輝きなどと書いてある。
内野を含めて、俳優として成長する契機になっただろうと。
この人は歴史の教授なのだろうか。
「風林火山」の、歴史的背景を丁寧に描いた部分を評価しているようだ。
賛否両論あったガクトのことも評価している。
私には「風林火山」は、ドラマとしての出来が良いのか悪いのか、どのように良いのか悪いのか、それはよく分からない。
「風林火山」が傑作なのか駄作なのか、愚作なのか、それはどうでもよいことなのだ。
テレビドラマというものを日頃見ないし、大河ドラマを含めてテレビのドラマは「つまらないもの」というひと括りで考えているし、テレビドラマそのものにまったく期待していない。したがって評価をする気もない。
大河ドラマであろうと同じで、大河がなにかとてつもなく凄いものだというような大河信仰は持っていない。
どちらかと言うと退屈で変わり映えのしないもの、と思っているし、それでこれまで真剣に見る気もなかった。
私にとって「風林火山」は、ただただ上杉謙信という武将を初めて認識した、というドラマだ。
今まで謙信という名前くらいしか知らなくて、いつの時代の人かも知らない。
が、ガクトがあのような形で演じることによって、謙信とはあのようなキャラクターとして想像することも可能な人物なのか、というところから興味が涌いて、本屋でいろいろ立ち読みしたり、買って来たりして謙信について知識を持つようになって、私は、謙信こそが私の理想の武将だ、ということに気がついたのだ。
これまでは日本のどの武将についても、殆ど興味すら持たなかった。
強いて言えば、明智光秀が好きなくらいだった。
なぜなら、光秀はあの信長を殺してくれた日本歴史上、最大の功労者だからだ。
そんな私が、謙信こそが理想だと思うのは当然のことだっただろう。
あれこれ読んでいるうちに、私の敬愛する梅原猛大先生が上杉謙信を褒め称えている文章にぶつかった。
あの哲学の大先生ですら、謙信を激賞しているのだ。
やっぱり謙信は最高の武将なのだ!とテンションがいっきに上がった。
ただひとつ気に入らないのは、謙信が越後の人だということだ。
ケッ、田中角栄と同郷かよ。盛り下がるぜ。
まあ、それと、厠できばっているうちに脳溢血で逝った、ということ以外は盛り下がる要素はないと言えよう。
「風林火山」の最終回、文句を言おうと思えばいくらでも言える。
でも私はもともとテレビドラマに何の期待もしていないのだ。
だからあの場面、あれを見た時には少し衝撃を受けた。
それは、満身創痍となった勘助が、朦朧とする意識の中で見た宿敵・政虎の姿の場面である。
陽炎のように揺らめいて見える、丘の上に立つ馬上の政虎。
あの場面で思わず「ベニスに死す」を思い出していた。
あのようなシーンをテレビで見るとは思ってもいなかった。
アシェンバッハにとって、死の瞬間に見たあのタジオは、天へと導く天使であり、同時に地獄へ突き落す死神でもあった。
勘助にとって、政虎とは、届きそうで届かない、見果てぬ夢の象徴なのかと思った。
あの瞬間、政虎は確かに、人であるが故に人を超えねばならぬ、龍の化身だと思った。
勘助を待っているような、誘っているような、無視しているような、見下しているような、次の瞬間、太刀を掲げてためらうことなく馬首を返して去ってゆく政虎の非情さも、何とも言えない衝撃があった。
清濁併せ持ち、地面を這いずり、泥にまみれながらそれでも歩を進め、生きようとする勘助の熱い生きざまが、小さいテレビの画面から異様な熱気で溢れ出す。
内野の、唾を飛ばしながらの熱演で、勘助の生きざまがライブで伝わって来たように思う。
そう思ってみると、由宇姫の、何としても生きたいと懸命に足掻くさまも、何となく分かったような気がする。
もしかしたら、勘助は由宇姫に、騎士道的な愛よりも乱世を生きぬく同志というような気持ちを抱いていたのかもしれない。
川中島の戦いのさなかに、勘助の回想で、海の場面が挿入される。
勘助が信玄(晴信)に、越後と駿河を取り、日本海と太平洋を制して天下を取っていただく、というような夢を語る場面だ。(原作にある場面だろう)
その時映った日本海が美しかった。
寒そうな、逆巻く波の海。
冷たく、神々しい、荒く激しい海だ。
川中島の合戦場面に挿入された海の画面は、そこだけ異質で、だからなのか、印象的だった。
あの海は政虎そのものであったように思う。
勘助は、あの海を征服しようと考えた。
遠くにあって、届かないからこそそこに夢を見て、それを我が物にしようとした。
善光寺へ兵を引いた上杉軍が、そこで政虎に信繁、諸角、そして山本勘助の首を取ったことを継げる。
政虎の反応は描かれていない。
ただ宇佐美の、武田はまさに修羅の道を歩んでござるとの言葉に、政虎は
この乱世は一睡の夢に過ぎぬ、人の生涯もまた、朝置く露のようなものであろう、と返す。ここで上杉軍の描写は終わる。
政虎が人の生涯と言った時、それは勘助のことを指したのかもしれないと思った。
政虎の手向けの言葉だったのだろうか。
まあこれで、ひとまず我がブログの「風林火山」特集が終わった。目出度い。

0