今年とても困ったことは、何と言っても近鉄百貨店(プラッツ近鉄)の閉店で、我々は近鉄の閉店により、近鉄難民となった。
お歳暮も、おせち料理も、地下でのお惣菜の買い物も、巨大な旭屋書店での本の立ち読みも、シニアの服選びも、ほぼすべてを近鉄によっていた。ちょっとした使いものを買うのにも不自由するようになった。
我々近鉄周辺の民は、近鉄によって日々の暮らしを立てていた。
いかに近鉄によっていたかを思い知らされることとなった。
近鉄からほんの少し歩けば京都駅地下街ポルタがあり、京都駅にはJR伊勢丹がある。
しかしそのほんの少しが遠い。ほんの少しが行けない。
そこには男と女の間のように、広くて埋めることの出来ない大きな溝があるのである。
近鉄人民はJR伊勢丹の混雑を嫌う。せせこましくて、慌ただしくてゆっくり買い物が出来ない。品揃えが偏っており、庶民性がない。
近鉄人民は、庶民性を大事にする。
またポルタは若者向きすぎなのと、デパートのような品揃えはない、基本的に衣料品ばかりだ(伊勢丹もそうだが)。
ちょっとしたお使いものとか、食料品を買うところがないのだ。
近鉄が閉店になってえらい迷惑だ。どうしてくれるのだ。
そして今、故・近鉄の前を通ると工事現場特有の、解体されたコンクリートのにおいで充満していることに気づく。
そのにおいを嗅ぐたび、諸行無常の気分に打ちひしがれ、悲しく儚い思いに胸がふたがれるのだ。
故・近鉄前を通るたび、父を亡くした時のような喪失感とやりきれなさに襲われ、胸がちぎれるようだ。
トラックの搬入口が開いていると思わず中をじろじろ覗いてしまう。どのように解体されているのか、状況を知りたいのだ。まるで不審者のような行動だ。
あまりの未練たらたらぶりに我ながら呆れてしまう。
これほどに、近鉄はかけがえのない存在だった。この喪失感は生涯消えることがないであろう。
今年はこのような、喪失感に苛まれた年だったと言っても良い。
我々は赤福も失った。
キオスクへ行っても、いつも赤福が置いてあったあの場所には、もはや別の商品が置いてあり、昔日の感を増幅させるばかりだ。
赤福カムバック。一刻でも早く、カムバック。
近鉄も赤福も失った今、それでも生きて行かねばならぬとは、無情な世の理であることよ。
それにしても京都新聞の記者の中にはやっぱり「風林火山」のファンがいるようだ。
今日の新聞に年末年始のテレビ番組表が入っていて、そこにコーナーを設けて「風林火山」総集編の案内が写真入りである(少し小さく「どんど晴れ」総集編の案内も…)。
天下を夢見ながら、志半ばで散った隻眼の軍師・山本勘助の生きざまを鮮烈に描いた「風林火山」の魅力を4時間の総集編でたっぷり…というような導入からあらすじが書いてあって、その文章も熱い。
きっと、毎週テレビにかじりついて、勘助の生きざまを熱くなりながら見ていた人がいたのに違いない。

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