2014/1/24

「永遠の0」百田尚樹著  今日の読書

  いまでは400万部を超える大ベストセラーとなった「永遠の0」。もともと母親が「私これ嫌い」というコメントと共に貸してくれた分であり、期待せずに読んだわけです。そして、その1年半後に映画まで見ることになった。

 映画「トラ!トラ!トラ」で真珠湾を襲う日の丸をつけた偽ゼロ戦(正体はテキサン)以来、「本物の零戦が出てくる映画が見たいよー」というのはモデラー全員の夢だったと思う。そしてついに「あのタミヤが監修した零戦が出てくる映画が作られた」わけだから私は狂喜乱舞すべきなのだろうけど…。

 はっきり言います。この話キライ。



 もうあらすじはみんな知ってると思うけど、海軍一の凄腕でありながら臆病者と蔑まれたパイロット宮部の真実をその孫が追う話で、妻子への愛と国を守りたいという純粋な心が号泣を誘うという事になってるらしい。でも、本を読んだ時も映画を見た時も正直空々しい気持ちしかしなかった。大体、新宿で終電を逃してなけりゃ映画を見ることはなかっただろう。

 宮部の戦術思想すべてがドイツのエース、エーリッヒ・ハルトマンのコピーであることは問題にすまい。「100%敵機を撃破できる場合でも、自分が撃破される可能性が5%あるなら退避すべきだ」というハルトマンの理念はそのまま宮部のものでもある。そして、格闘戦を避けよというのは日本のエース岩本徹三でもあり、僚機をかならず守るというのは坂井三郎にも共通する。それこそ距離をつめてからの必殺の一撃を信条とした"レッドバロン"リヒトホーフェン男爵以来のパイロットの美点を集めたのがそのまま宮部である。そして、それはレシプロでの戦いの「正解」である以上当然のことでこれをパクリだというのは言いがかりだろう。

 また、松乃が大石に「宮部は約束を果たした」といって寄り添うのにイラッとしたのも反省してる。坂口安吾の読者である私は松乃が「宮部は好きだったけど、今は大石が好きだ」というべきで「宮部が帰ってきた」というのは許しがたい欺瞞だと思ってしまったのだが、大石を受け入れるために松乃がそう考えるのは当然のことであり、それを否定するのは人間として間違っていると今は思う。

 ではなんでこの話がキライなのか。今まではうまく言葉にできなかったけど、この間小野田寛郎さんの訃報に触れて、その理由が分かった。
 小野田さんはルパング島において終戦後約30年間にわたって戦争を行っていた。これは単に生存していたのではなく、ゲリラ戦の戦術研究を行いつつ島の一角を軍事拠点として占領し、来るべき米国占領体制の破たんと日本の蜂起に備えたのである。これは国を守るという信念の究極の姿であり、軍人の理想であろう。しかし、その一方で小野田さんの戦いは現実には日本の防衛に全く影響を与えることはなかった。帰国後、小野田さんは自衛隊の顧問に迎えられたりされたわけでもなく、ルパング島が日本軍の拠点となることは未来永劫無いだろう。

 小野田少尉の戦いはすべての軍人が手本とすべき、そして国家が顕彰すべきものだった。しかし、その戦いは全くの無駄だった。

 翻って宮部の戦いはどうか。宮部はエースパイロットであり多くの戦果を残したが、日本軍は最終的には敗走を重ね、宮部自身も特攻で命を落とすことになる。この犠牲が実は無為だったというのは映画よりも原作により色濃く出ているのだが、いつのまにか宮部が妻子を救ったみたいな、そして日本を守るために散った話になってしまっているのである。待て待て、松乃を救ったのは大石の愛であり景浦の侠気であって宮部の特攻は関係無いだろ。

 宮部の戦いは理想のパイロットそのものであり、愛する人のために戦った。そして、その行為が妻子を救った。

 個人がどのような思いで戦ったとしても、戦争はそのような想いを一顧だにしない装置である。それは小野田少尉のような超人的な軍人であったとしても変えがたい事なのである。でも、「永遠の0」では真実の愛は戦争を超えて人を救うというメッセージを送っている。それは多くの軍人たちが心から願い、でも出来なかったことなのだ。それを架空の軍人、宮部が果たすなんて話は欺瞞の最たるものとしか思えない。

 なんかえらい長文になってしまったが、「永遠の0」礼賛の声が広がっていることに苛立ちが隠せないということで。歴史を語るというのは…(以下「HHhH」の感想につづく予定)
 

 
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