2019/4/23

「魂のゆくえ」2018米  今日の映画

 今週も地獄のような映画。岬の兄妹に続きなぜ、こんな苦しい映画を見てしまうんだろう。バンブルビーかシャザムでも見に行けばいいのに。でも、ポール・シュレーダーとなると行かざるを得ないよね。

「イーサン・ホークがめそめそする映画ですよね」(有名ブロガー三角絞めさん談)

 はい、イーサン・ホーク史上最高にめそめそする映画です。

 牧師トラーは息子をイラクで亡くし、妻とも別れ一人片田舎の観光メインの教会で聖務にあたっている。ある日、若い夫婦の妻、メアリーから夫マイケルと話してほしいと頼まれる。彼はメアリーとの子供を授かることを喜ばず、逆に環境破壊が進むこの世界に子供を誕生されることは罪だと言いはなつ。彼を説得しつつも、トラーは自分もその主張に傾いていくことを感じる。そして、自分の所属する教会組織が環境汚染の元凶である企業から多額の献金を受けていたことを知ったトラーはある行動を起こす。



 聖書ではトラーは鐘を鳴らすもの、転じて警告を発するもの。心を通わせるのは妊婦であるメアリー=マリアであり、対峙するのはマイケル、つまりミカエルである。
 この映画は表の面では生活に疲れ、病魔に侵された男が狂気に侵されていく話である。しかし、裏の面では自らの犠牲により地球を救おうとする殉教者の話でもある。自らの大地をいやすという誰もが認めざるを得ない正義に殉じようとするトラーと、娼婦を救う事で自らの正義を行おうとしたタクシードライバーのトラビスとはやはり決定的に違うと思う。そして、命を宿した自然の象徴ともいえるメアリーと、幸せな生活だけを望む女性エスターとの接し方の違いがはっきり示すように、彼は人間らしさを超越してしまっているんだよね。

 ただ、この映画の素晴らしい所は、最も知恵に満ちた言葉をトラーにではなくある意味敵である教会の理事長に語らせていることにあると思う。「人はゲッセマネの園のみに居てはいけない。イエスは町にも、野にも、会堂にもいた」。どれほど苦悩していても、それのみに関わってはいけない。信仰と生活、それがバランスをとれていてこその人間なのだと。

 最終的にトラーはおのれの罪を贖い、世界を救うために自らを十字架にかける。その先のことは多くの解釈ができるので言葉にするのは難しいけれど、自らを犠牲にする敬虔な行為であり、自らをキリストになぞらえる傲慢な行為でもある。私自身は最後に現れたのは彼だけに見える天使だと思ったのだけど、どうだろうか。
0
タグ: 映画



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ