2019/12/9

「小松左京展D計画」に行ってきました。  今日の展覧会

 日曜日に少し時間が空いたので、世田谷文学館の小松左京展に行ってきました。

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 自分は読書をするようになったきっかけは星新一だったけれど、SFを系統だって読むようになったのは神林長平や谷甲州といったSF第3世代から。その為、小松左京はさかのぼって読む対象で、リアルタイムでは追えていない。また、唯一無二のショートショート星新一やトリックスターの筒井康隆と比べ、小松左京は多くの作家が肩に乗る巨人という感じがしていた。だれよりも巨大な業績を残したが、その視点はもはや低いといったような。

 しかし、今回の展示を見て改めてその業績を見直すと、作家という枠を超えた姿が見えてきた。



 展示の一つは作家としての姿である。特に日本沈没に多くのスペースが割かれていた。これは企画書の様に物語を発想し、設計者のように計算し物語をつぐむ小松左京の作家性が最も表れているからだろう。小松左京が沈むといえば、日本は沈むのである。そして、文字につぐむ段階である原稿にはほとんど直しが無いことも印象的だった。

 もう一つの柱はプロデューサーとしての姿である。ほほえましい作品である「さよならジュピター」もあったが特に驚きがあったのが万博での業績である。非公式な立場でありながら、文明への功績という観点で万博を見ていた小松左京らのビジョンはやがて公式なものとなっていくのである。このようなパワフルさは現代の文化人には無いものだろう。そして、花の万博においては名誉職という立場を自分の力で実質的なリーダーに変えていくのである。

 ラジオリスナーとしては、パーソナリティーとしての姿も見逃せない。桂米朝とのラジオは今で言うなら東京ポッド許可局に近いのかな。「アメリカ政府にスポンサーを頼めばいいのではないか」「ソ連にはアメリカが出した額を伝えてそれ以上に出させよう」みたいなきわどい言葉がどんどん出てくる。

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 愛猫家としての姿。かわいい。
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タグ: 美術



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