2020/1/1

「スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け」2019米  今日の映画

 私が最初に見た映画は「スターウォーズ新たなる希望」で、小学一年生の絵日記にXウィングの絵を描いた記憶がある。ジェダイの復讐は姉と見に行ったし、ファントムメナスはなぜか激ハマりした友人と2回ぐらい行ったのかな。なんだかんだで全部見ていて、プラモも作っていたりするんだけど、テンションは落ちつつあった。まあ、自分が大人になったのであってアラフィフのおっさんにジャストフィットじゃスターウォーズとしてバランスが悪いんだろうけど、ついに本編が(一応の)完結という事で映画館へ。ただ、昔なら万難を排して初日に行っただろうけど、公開3日後の月曜に鑑賞。それでもシネマシティは満杯だった。

 皇帝パルパティーンは生きていた。レイはルークより「皇帝と戦う事で、ジェダイとしての修行が完成する」と告げられる。また、最高指導者となったカイロ・レンにとっても皇帝は脅威であった。レイは仲間とともに、カイロ・レンは自らの騎士団とともに皇帝を倒すべく、隠されたシスの聖地へと向かうのだが…。



 今回の7から9(シークエルというらしい)はルーカスの手を離れ、ディズニー傘下で作られた作品である。○ッキーマウスを浦安ネズミと呼ぶような私にとっては良い事態とは言えなかったけれど、実はこのシリーズには期待していた。正直、フォースの強い血脈の話に飽きてきていたんだよね。だから、その系譜の最たるカイロ・レンに対し、何者でもないレイが対抗することに風通しのよさを感じたんだよね。

 ただ、実際に見てみると4のリメイクにすら見える7、新しい方向を指し示しながら一歩も進んで無かった8の2本でがっかりした上に、ローグワンやハン・ソロの懐古趣味にも乗れなかった自分にとって、9は最後の希望だった。しかし、そういう風に考えていたのは少数派だったみたい。

 今回のシークエル、最終的には「一回死んだ皇帝にとどめを刺す」というだけで話が終わる。まるで大掃除の様に更地にしてこの話は終わるのである。正直、近所の苦情に配慮して取り壊しを行ったような気にすらなる。そして、そのことがものすごくもったいないと思うし悲しいのだ。

 なぜなら、シークエルにはプリクエルに劣らない野蛮な魅力に満ちたライトセーバー戦があったし、立ち並ぶスターデストロイヤーといった斬新なイメージがあった。そして、何よりアダム・ドライバーをはじめとする魅力的なキャストがいた、それらすべてのパーツが過去作を超える輝きを持っていたのに、その組み合わせがあまりにダメ過ぎる。正直、これらのパーツを並び替えただけで傑作が生まれるのではないかと思ってしまう。

 今後、ディズニー傘下でドラマやアニメの形でスターウォーズ世界は続くようだが、これについては希望が持てる気がする。これらの作品群の中からルーカスのビジョンを発展させ、セールスと評価を両立する制作者が生まれる可能性は低くないと思うのだ。
 マーベルがクロージングを最高の形で終えたのに対し、スターウォーズが成功とはいえないのは、ストーリーの試行錯誤が圧倒的に少なかったことが原因だと思う。今はその経験を積むべき時なのだろう。
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タグ: 映画



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