2020/1/13

「フォードVSフェラーリ」2019米  今日の映画

 1月は結構注目の映画が多く、本当は「パラサイト」を片付けなければいけないところ。ただ、前日にこの世界の片隅にを見てしまったのでさすがにオーバーワーク。少し軽めのモータースポーツ映画にしました。わざわざ実車を作って撮影し、エンジン音にもこだわったとの事なので、立川のスクリーンが大きい間に見にいくのが礼儀という物だろう。

 1960年代のフォードは経営危機を迎えていた。リー・アイアコッカの進言により、ル・マン24を制することでブランドイメージの刷新を図ることにしたフォードは、アメリカ人で唯一ル・マンを制したキャロル・シェルビーに白羽の矢を立てる。シェルビーはドライバーとしてケン・マイルズを雇い入れ、打倒フェラーリを目指す。しかし、純粋なドライバー、ケンと車のマーケティングとしてレースをするフォードの間には齟齬が生まれてきて…。


 この映画、史実ではあるのだけれどスポーツ映画として上がる要素をすべて備えている。はみ出し者が集まり、創意工夫とチームワークで勝利を収めるという話は何回見たかわからないくらいだけれど、何回見ても良いものである。
 普通のスポーツ映画の場合、「主人公が自分の限界を突破して勝つ」という事が多いけれど、モータースポーツの場合は限界を超えてしまえばクラッシュであり、リタイアとなってしまうので、「主人公が一番限界に近い所まで行って勝つ」という構造になる。これが出来てないために凡作となる映画も多いけれど、この映画はここの描き方が良かった。また、登場人物たちは一歩間違えば共感できない頑固者ばかりだけれど皆チャーミングである。あのケンカのシーンは最高だったなあ。

 ただ、はっきりとした不満もある。この映画の中で描き込みが明らかに足りない重要キャラクターがいると思うのである。それはフォードGT40というマシンそのものである。
 確かにこのマシンを育てたのはシェルビーであり、ケンかもしれない。しかし、それを生み出したのはフォードのエンジニアなのである。劇中でケンが克服しようとするのはこのマシンの弱点であり、このマシンの勝利の理由であるエンジンについては触れられない。つまり、なぜこのマシンがフェラーリ―を超える回転数を出しても壊れなかったのかははっきりしないのである。

 ル・マンやF1のようにマシンの開発が大きな部分を占めるモータースポーツでは、マシンの開発は他のスポーツ映画におけるトレーニングシーンと等しく省いてはいけないところだと思う。ボクシング映画に例えるならシェルビーやケンはセコンドやトレーナーであり、ボクサーに当たるのはあくまでマシンだと思う。ここが欠けたために、この映画の魅力は減じてしまったと私は思う。
0
タグ: 映画



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ