2020/3/24

「娘は戦場で生まれた」2019年英 シリア  今日の映画

 映画館は相変わらずガラガラで、今回の映画も80人定員の立川キノシネマで10名程度。見てる方にとってはかえって安全な空間になっているのだけれど、経営は大丈夫なのだろうかと思ってしまう。もちろんコロナウイルスのせいなんだけれど、この現状についても考えさせるようなドキュメンタリー映画でもあった。

 シリアのアレッポ。反政府勢力の支配下で、ジャーナリストのワアドは医者の夫ハムザと小さな娘サマと暮らしていた。高圧的なアサド家の支配を逃れたアレッポはつかの間の自由を享受したが、ロシア軍の支援を受けた政府軍による包囲が狭まってゆく。ハムザの病院は反政府勢力支配下唯一の病院となり、爆撃による死傷者は膨れ上がっていく。
 ワアドによるシリア革命の回想と現在のアレッポの現状を描くドキュメンタリー。



 シリアの現状を描く映画だと「存在のない子供たち」があったし、CNNやアルジャジーラのニュースではよく見ていたので情報としては新しいものはなかった。しかし、私の中で「シリアの一般市民」という記号が、「小さい子供を抱えて恐怖に耐えながら日々を生きる家族」という血肉の通った存在に変わった。

 このドキュメンタリーはワアドの大学時代から始まる革命の記録であり、ハムドの病院を通じたシリア内戦の現実を描くドキュメンタリーである。これだけであれば迫力あるニュースとしか思わなかったかもしれない。しかし、このドキュメンタリーはホームビデオでもあるのである。焼け落ちたバスで遊ぶ子供たち。そして、あどけない子供サマ…。
 恐ろしいのは、絶え間ない爆撃の中でもサマは泣かない。赤ん坊にとって爆撃は日常なので恐くないのである。そして、大人たちも恐怖よりは絶え間ない患者に対応するのが精いっぱいで珍しくない仲間の死にも嘆かない。彼らにとってそれは日常だから。

 今、日本も含めコロナウイルスの恐怖が世界を覆っているが、実は我々は日々自分たちで死の危険を生み出しているし、それについては気にしない。自分はコロナウイルスという新しい危険に対し右往左往することに、どうしてもこっけいさを感じてしまうのだ。え、世界ってこういうもんじゃないの?もっと危険なことはいくらでもあるだろう
 そして、致死率という点では病気など比べ物にならない紛争に対し、向き合ってきたかというと決してそうではない。ワアドのメッセージやサマの姿もきっとかき消されていくのだろう。

 このドキュメンタリーは最終的には敗北と新しい出発で終わるのだが、この映画を見た以上アレッポの物語を追い続けなければいけないという義務感を感じた。
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タグ: 映画



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