2020/5/17

「チェルノブイリ」2019米  今日の映画

 映画館がクローズして一か月強。本当は見ていなかった色々な作品をDVDや配信で見るべきなんだけど、なかなかシリアスだったり重いテーマの物を見る気が起きない。時間があるからと言ってでっかいプラモを仕上げる気が起きないように(小さいのをたくさん作ってるので手間は変わらないのだが)軽いものばかり見ていたのだが、プロジェクトAの吹き替え版を見ていた時に「こんなことではいけない。この期間内になにか心に残る作品を見なければ」と思い立ち、昨年のドラマで最も評判のこの作品を見ることになった。
 
 今の時期、今の世界だからこそ見るべき作品だった。

 1988年4月。試験運転中のチェルノブイリ発電所第四原子炉が事故を起こす。現場の作業員たちは原子炉自体が爆発したことを目の当たりにするが、副技師長のディアトロフはじめ上層部はそのようなことはあり得ないとして耳を貸さない。その間にも消防士や作業員の犠牲は増えていった。
 事故後、原子力研究所レガゾフ博士の元に閣僚会議副議長のシチェルビナから政府委員会へオブザーバーとしての出席を求められる。発電所所長からの楽観的な見通しを看過できず辛辣な意見を出したレガゾフはゴルバチョフ書記長の命令でシチェルビナとともにチェルノブイリに向かう事になる。ヘリの上から彼らが見たのは、黒鉛に覆われた屋根と、放射線によって青白く光る空だった…。


 例えば福島原発事故をネットフリックスでドラマ化されたらいやだと思うのだが、さすがHBOというべきか、現在分かっている事実から忠実にドラマを作っている事にまず感銘を受けた。実際に起きた事故や事件を映画化するとドラマ優先で事実が捻じ曲げられたたり、切り口が変だったりするが、このドラマではあくまでレガゾフとシチェルビナという事故収拾の責任者を中心に物語が語られるので感傷的になることもない。

 特にこのドラマで惹かれたのは政府側の責任者であるシチェルビナである。彼は実際にチェルノブイリを見るまでは危機感を持っていないしレガゾフを疎んじている。彼にとってチェルノブイリ行は自分の権力の弱さの結果であり、レガゾフのレクチャーにも身が入っていない。しかし、燃える原子炉を見た瞬間に彼は事故の重大さと、彼自身の運命もこの事故を収拾できるかにかかっていること悟るのである。そして、ほんのわずかのレクチャーから得た知識を元に所長ら現地責任者の欺瞞を見抜き、真に必要な対策を打っていくのである。
 後半の方に、自分は人生で何事もなすことができなかったと語るシチェルビナにレガゾフは「あなたがすべてを用意した。あなたがいなければ私は何もできなかった」と語るシーンがある。このシーンを見てどうしても今の日本の状況を思い返してしまう。

 ソ連の政治体制は理想的とはとても言えなかったし、シチェルビナも決して良い政治家ではなかっただろう。この物語でも事故収拾後には隠蔽と責任逃れが行われることになるのだけれど、少なくとも本当の危機に陥った時に何を優先すべきかをシチェルビナは正しく判断した。対策が大規模化することによる障害や権力闘争よりも、今現実に燃えているチェルノブイリこそが一番の問題であり、それをなおざりにして隠蔽や駆け引きを行う事は結局自分の為にならないことを見抜いているのである。これが、この人物の偉大さであり頼もしく思えるところだろう。

 残念ながら日本の状況を見ると、最も優れた対策を打つ人間が政治的勝利を収める体制にはなっていないようだ。少なくとも、寿命を削り貧乏くじと十分わかっていてチェルノブイリに向かったシチェルビナやレガゾフよりものちのち政治的利益が得られるだろうに、実効的な手段はおろか人気取りすら十分にできていない。今回のコロナウィルスで日本は最も死者を抑えている国のグループに入っており、おそらく疫病対策は上手く行っている。しかし、その称賛を受けるべき人が誰なのかははっきりとしない。医療関係者なのか、一般市民なのか。そして、それが分からないという時点で政府が称賛に値するとは思えないのである。チェルノブイリで称賛を受けるべきなのがソ連政府でないように。
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タグ: 映画



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