2020/5/31

「12人の優しい日本人」を読む  今日の演劇

 人にはいろいろなドラマのツボがあると思うけど、自分は「悪人が征伐される」とか「敵に復讐する」よりも、「無実の人の冤罪が晴れる」というのが一番好きなような気がする。水戸黄門より大岡越前が好きなのもそうだし、弁護士ペリーメイスンが好きなのもそうだろう。だから、「12人の怒れる男」は一番好きな映画の一つである。

 今回の「12人の優しい日本人」は一回舞台中継を見たことがあったのかな?これがオリジナルキャストを中心にZOOMを使った朗読会がYOUTUBEで公開された。前に見た時はかなりイライラした記憶があって、海外のこの手のドラマでは基本ルールである「推定無罪」が守られていないために議論が進まないのだ。もちろん、そういう部分も含めて日本人という事を表現した舞台という事は重々分かっていたけれど、生理的な不快感は否めなかった。ただ、今の年になってみると、また違う感慨があった。

 アメリカ型の陪審員制度を採用した架空の日本。夜の国道で別れた夫を突き飛ばしてトラックにひかせた容疑がかかった女性の裁判。殺意の有無が焦点となった裁判で12人の陪審員はいったんは無罪で全会一致する。しかし、陪審員2号が「もっと議論をしましょうよ」と言い出したことで、議論は紛糾していくことに…。




 前に見た時はこの話を司法についての話として見ていたような気がする。一種の司法ミステリードラマだと。しかし、今のコロナ禍の状況で見てみると、「マウンティングとしての議論」という側面が目立った。しかし、脚本自体は初演と同じはずだから内容ではなく自分の見方が変わったのだ。
 この話で議論に積極的に加わる人間には「相手を議論で打ち負かしたい」という欲望があり、特に2号はそうである。その為に討論の内容は容疑者の女性の行動の推理合戦になっていく。しかし、陪審員に求められているのは「裁判の結果、合理的な疑いがあるか?」という事である。9割がた有罪だと思っても、1割、いや1パーセントでも合理的な疑いが残れば無罪なのである。だから、「どちらが正しいと思うか」という問い自体が成り立たない。
 「12人の怒れる男」では、証言プラスナイフという一見してわかる物証があったために、推定無罪という原則があるにもかかわらず主人公は一人からのスタートだった。しかし、日本人ではもっと証言はあいまいで、どちらとも取れるようなものである。その為、推定無罪がクローズアップされると急激に物語は収束していく。

 問題の本質を外したまま、相手を打ち負かす為だけに言葉を重ねる。正直、今年だけ、今月だけでもどれだけ見ただろう。この舞台では滑稽に描かれているけれど、今の自分には見るのがつらい。結局、陪審員2号の動機は裁判とは違う所にあったことが分かるのだけれど、隠された動機による言葉がなんと多いのだろうと思ってしまう。
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ