2020/7/1

「コリーニ事件」2019独  今日の映画

 毎年一本は見ているような気がするナチスについての映画。原作者のフェルデナント・フォン・シーラッハは新刊が出れば毎回読む作家のひとりであり、今回の映画化も凄く楽しみにしていた。にもかかわらず都内で2館しかやってないってどういうことだよ!と思うが、万難を排してみてきた。こういう人気がある単館系の映画が、半分の客しか入れられない現在の映画館で一番見づらいんだよな。

 こういう映画が生まれる土壌は本当にうらやましい。そう思える映画だった。

 新米弁護士のカスパーは初めての国定弁護人として法廷に立つ。頭に銃弾を受け、その後踏みつけられたこの事件の被害者はカスパーの少年時代の恩人、ハンス・マイヤーだった。
 犯人であるコリーニは黙秘を続け動機を語らない。しかし、犯行に使われた銃が第二次世界大戦時の軍用拳銃だったことを糸口に、カスパーはドイツ史の闇に切り込んで行く…。



 この映画、前半は犯人が完全黙秘という事もあり話が全然進まない。正直退屈しても良い所だけれど、犯人であるコリーニを演じたフランコ・ネロの空気感が圧倒的で、緊張の糸は切れなかった。続荒野の用心棒をいつ見たかは忘れたけれど、2020年にフランコ・ネロのベストアクトっていう言葉を言う事になるとは思わなかった。

 しかし、2019年のドイツで戦争中、そして戦後のナチスの闇を告発する映画が作られ、その被害者であるイタリア(もちろんイタリアはドイツの同盟国であったが、今回はそのイタリアでの残虐な事件が描かれる)の名優フランコ・ネロが出演し、ドイツ国内でヒットするというのはなんというすごい事だろう。例えば第二次世界大戦の日本の闇を告発する映画を制作し、それに韓国の名優が出演するようなことは現時点では想像もつかない。かつては遠藤周作の「海と毒薬」のような作品もあったが、ドイツはその流れがずっと続いていたのだ。

 今回の映画では大きな改変点がある。それは主人公カスパーがトルコ系だという事である。ハンス・マイヤーはどのような想いでカスパーを援助していたのだろうか。作品中の言葉で「第二次世界大戦は誰にとっても厳しい時代だった。残虐な行為もそのことを理解した上で考えるべきだ」という物がある。普通この言葉は、見苦しい言い訳として語られることが多い。しかし、第二次世界大戦のハンス・マイヤーも戦後のハンス・マイヤーも同じ人間なのである。

 大学時代の私は、部活の後輩たちにはちゃらんぽらんな先輩として記憶されているが、ひとりだけ私を怖い先輩と認識していて、お互いがOBになった時に大いに驚いたものである。それは彼が一年の時に私が一回だけ厳しく指導したからだが、その時私は「どうやったら怖く思ってもらえるだろう。」と思い悩み、精いっぱい怖く演じた。劇中のハンス。マイヤーが行ったこと、その動機はただ彼が残虐だからだったのだろうか?
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タグ: 映画



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