2020/8/3

「ドロステの果てで僕ら」2020邦  今日の映画

 舞台原作の映画は結構あるけれど、実はあまり上手く行ってないんじゃないかという作品も多い。なかなか両方を見比べる機会は少ないけれど、やはり舞台作品は舞台でという結論になってしまう事が多い気がする。しかし、今映画館ではこの作品と「アルプススタンドのはじのほう」という話題の舞台原作映画がかかっており、それぞれに「今年ベスト」みたいなテンションのファンがついている。尺がタイトという事もあり、見てきました。

 ある日のカフェ。オーナーはバイトの子に店を任せビルの上の自宅に戻った。すると、テレビの中から自分が語り掛ける。「俺は2分後のおまえ。このテレビとカフェのテレビは2分の時間を挟んで繋がっている」。友人たちも集まるが分かる未来が2分先では特に何の役にも立ちそうにない。しかし、その中の一人オザワがこの二つのテレビを合わせ鏡にすることでさらに先を見ることができることを発見する。テレビの画面にさらに先の時間のテレビが映るドロステ構造。しかし、それは彼らを思わぬトラブルに巻き込んで…。

 タイムスリップは緻密であれば緻密であるほど理屈が合わない部分も見えてきて、小説には向くけれど映像には向かないんじゃないかと思っていて、この手の映画の中でもかなり複雑な構造を持つこの映画の場合は訳が分からなくてクラクラしてくる。実際にはかなり精密な録り方をしているのでストップウォッチ片手にメモを取ればわかりそうだが、少なくとも一回見ただけではわからない。しかし、それは全然欠点ではなくて、わけがわからないまま未来に振り回される登場人物たちの気持ちを追体験する仕掛けになっているんだよね。

 基本構造はくらくらするほど複雑だけど、登場人物は類型的と言っていい人たちばかりだし、ストーリーも実はベタベタである。さらに舞台特有のセリフ回しもあって結構飲み込みづらくてもおかしくない。でも、映画の時間の中で過去と未来のことを頭をフル回転させてみるこの映画では正しい。常に2分前に何があったかを思い出しながら見るこの映画では、そのガイドになるセリフは大仰でなければいけないんだよね。

 映画と舞台の一番の違いは映画はカメラマンが理想的な視点を提供してくれるのに対し、舞台は自分が視点を決定しなければいけない事。その為に舞台は観客が見るきっかけを提供してくれる。今回のこの映画はこれを舞台という空間ではなく、映画という時間に適応したような気がする。キーとなるシーンを観客が切り取りながら見ることを要求するような。そんな不思議な体験だった。

 この映画が面白かったかどうかは判断が難しく、ストーリーとしては平凡だろうしタイムスリップ物としては無理がある。しかし、この映画は今までには経験した事が無い何かだという事も確かに言えるのだ。
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タグ: 映画



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