2020/8/17

「グレースオブゴッド 告発の時」2019仏  今日の映画

 今回は現在もなお係争中である事件「ブレナ神父事件」を題材としたフィクション映画。「スポットライト 世紀のスクープ」でも取り上げられたカトリック神父による児童への性的暴行を告発した映画である。監督のグザヴィエ・ドランはドキュメントで考えていたらしいけれど、当事者である被害者たちは「実名によるフィクション映画」を望みこのような劇映画になったらしい。

 リヨンに家族と一緒に住むアレクサンドルは、自分が幼少期に性的虐待を受けたブレナ神父がいまだに子供向けの教室を持っていることを知る。敬虔な信者でもあるアレクサンドルは子供たちの為に教会の司祭に訴えかけるが、教会は問題をはぐらかして抜本的な対策を打たない。彼はブレナ神父と問題を放置した教会を告発するために過去の被害者を探す。そして、信仰を捨てて教会と戦おうとするフランソワ、今なお過去に苦しむエマニュエルなど多くの被害者が集まってくるが、それぞれに家族や周囲との軋轢を抱えており…。




 今回の映画は「性的虐待の被害者はなぜ告発までに時間がかかってしまうのか。どのような苦しみを抱えているのか」という事をシンプルに描いていると思った。実際にはこれらの被害者は過去だけではなく貧困や家族の問題を抱えていることが多いが、今回の主人公であるアレクサンドルやフランソワは被害を知ってなおその苦しみを理解し、、助けてくれる家族を持ち、社会的成功を収めてもいる。だからこそ、この性的虐待の問題が純粋に浮き上がってくるんだよね。最近だと伊藤詩織さんの問題で「でも女性運動家でしょ」などという人がいるが、そのような言い訳を言わせないストーリーになっているのだ。

 今回、ブレナ神父は一貫して罪を認めているし、教会も少なくとも事実を隠蔽はしていない。しかし、すでに許されたものとして矮小化しようとしている。その姿はどうしても従軍慰安婦問題を連想してしまうが、そうではなくて虐待によって傷ついた側と傷つけた側との、普遍的な姿なのだろう。公平に見れば従軍慰安婦問題においての日本の過去への対応は他国の問題と比べても決して劣ってはいない対応だと思う。しかし、この映画でも描かれているように被害者が求めているのは問題の終了ではなく、永続的に問題が発生しなくなるような、継続的な変化である。物語の最後では自らの役割は終えたとして運動から離れるもの、運動に生きがいと癒しを求めるものに分かれていくが、それでもこの問題が終わることはない。そして、被害者側の役割が終わり、加害者側が常にこの問題と直面する状態のことを解決と呼ぶのだろう。
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