心の脱衣室

言葉数にこだわらない和句のリズムで心根を詠っています。

 

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投稿者:うみ
確かに 仏様のような心で人を思えば<期待>などということは起こらないのでしょう
届こうが 届くまいが与えるだけでしょうから・・
発するだけで 幸せ・・という境地は 余程色々手放さないといけないような気がします
とはいえ、今は 愛などというものには無縁でごじゃりまするが・・・ (T▽T)アハ
投稿者:ダリウス
うみちゃ

「愛」が自分の心から発して、相手に届き、それに衣を着けてまた自分に戻って来ることを期待する様では、それは「愛」では無いと思うねぇ。
 この手の心情を表す言葉は品薄で、特に欧米のLOVEの一言に集約するには、それぞれの人の温度差や比重が異なるところを表し難いからのぅ。
投稿者:うみ
う〜〜ん 難しいね
でもね 笑顔が見たいとか
幸せになってほしいと願う気持ちも
小さいかもしれないけれど愛に仲間だと思うのです
迷惑な愛の形もあるとは思うけれど・・
存在はすると思いたいな
投稿者:ダリウス
うみちゃ

「愛」と言う言葉がタイムセ−ルのワゴンに山積みになった、賞味期限ギリギリOK!の安売りみたいに出回っている時代だと思わない?
「愛」を秤にかけたとしたら、100グラムいくらだろ-ねぇ。自分自身と引き換えにしてでも慈しみたいと思う心が「愛」なんだと思うのさ。かなり厳しい選択と覚悟がないといけんばい。可愛らしいに使う「愛」の字とは異なるモノだと思う分けさ-ね。
投稿者:うみ
愛されていた時間は 
きっとあったと思います
でなければ写真など残らない ^^
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