第一章

2020/7/1 | 投稿者: sendaikoffeeco

息子の高校サッカー
12年におよぶ育成世代のサッカーが
ひとまずおわった。

昨今のさわぎで、インハイはじめ、さまざまな公式戦は中止。
そこで自らの未来の行く末や、そのためのアプローチなど、
本人なりに考えた上の決断だったようだ。

チームでは、プロを目指すもの、選手権を諦めていないもの、サッカーで進学するため、現役続行するものも多い中、自力で決めた引き際だったようだ。

やつはサッカーに育ててもらった。 
つくづくそうおもう。

折々に、
すばらしい指導者や仲間にめぐまれてきた。

せんだって
ヘッドコーチへ引退の決意を打ち明けたとき、
コーチはそれを否定せず、やつのジンセーぜんたいのなかで、肯定するようなことばをかけてくれたようだった。

「(進学の準備のために)
サッカーを休んでもいい。」
そんな言い方をされたようだった。

「おまえはサッカーに育ててもらった。
そんなサッカーはこれからも、ずっとつづけてほしい。

だから
引退なんて言葉は使わないでくれ。」
 
そして 
「わすれるなよ。おれたちは家族だ」
とも。

部員180名もいる強豪校で、
日の目をみるはその一割程度。
のこり九割。ほとんどはナミダをのむ熾烈。
酷。

相対的な成長が本質とはいえ、
ここでなければ、もっともっと活躍できたであろう選手。
最上へ上り詰められないなら、サッカーを諦めてしまおう。
そんなストイックな判断を下す選手。

そうした教え子たちが無数に目前をすりぬけていく。

そこに生まれるであろう一種のやるせなさ。
指導者としての葛藤を抱えてきたのだろう。

あとすこし、というところまで突き詰めて、
尽きてしまったやつへの無念を含め。
その敬意を含め。

それがなにであれ、
自身のすることに興味さえ失わなければ、
向上する精神さえ手放ずいさえすればいい。

おれはそう思う。
自戒もこめて。

それと異なり、コーチはあえて、サッカーを捨て去るな、と言い放った。
そこにこだわった。

それはどこか理を超えた
彼なりの情であり、
教え子やサッカーへの愛の深さだったのだろう。

死ぬ気で打ち込んできたものから離れる決断。
そこに、どこか懐をもたせた考え方。

それを示してくれたこと、
それがやつのなかで、ぐっと染みていったこと。

息子が今後どういうスタンスで
ピッチに立つか、立たないかはわからないけれど、
2度とないほどに
厳しく深い愛情をもって鍛え込まれた時空は
なにものにもかえがたい財産になったはず。

最後の最後まで
サッカーに導いてもらったんだな。とおもう。

 
第二章の幕へむけて。

#やつについて書くのはきっとこれが最後

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