プラットホーム偏重を再考すること

2020/9/27 | 投稿者: sendaikoffeeco

勾当台広場はじめ、定禅寺界隈でのイベント群が消えて久しい。

相変わらずの時世ではあるけれど、
通りがかるたびおもう。
それはそれで穏やかではあるな、と。

ベンチに腰掛けて本を読んだり、
気のおけない仲間とのおしゃべりや、
つかのまの休息。

数は多くないかもしれないけれど、三々五々、おもいおもいに過ごすひとたち。

そんな風景を眺めるにつけ、
まあこれはこれでよいのではないか、ともおもう。

語弊を恐れず言えば、
公共のスペースが、なにもひっきりなしに、営利のために稼働してなくたっていいのではないか、とおもうのだ。
なにも生み出していなくたって。

そうした時空は、街中至るところに溢れている。

広場や緑道は、文字通りそんな日々の緩衝帯でもある、そんな価値があったっていいような気がする。

超長期デフレでの厳しさが、公共の場をプラットフォーム的に利用する要因となっているのはわかるけど、

それぞれが持ち場を創造、維持し、輝いていけること。
ひとびとは、それぞれそういう場所へ、個々へ出向いてゆけること。

それが豊かさの本質だとおもうし、
そのための、すこし踏みこんだ意識と工夫が、すこしずつでいいから、なされていくのがいいのだろうな、などとおもうのだ。

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