skの源流

2021/1/15 | 投稿者: sendaikoffeeco

バックパックひとつで北米を横断するような貧乏旅行を敢行したのが、90年代初頭。

オトコは、ひとり荒野を目指さなきゃならねえな、などど若さとバカさを丸出しに。
とかく単細胞的な理由をもって。

アラスカや北極のような、背後に広大な原野を持ち、日本や米国、欧州とも違った哲学を貫いていたカナダは、とても先進的にうつったし、ぼくみたいな単純な若者にとって、とてつもなく眩き、引力のある土地だった。

あのころの世の中は、駆け足全速前進みたいな感じが蔓延していたようにおもう。
ひとはもうすこし、ゆっくりしたいんじゃないのかな、という意識が、ココロの底のほうに、そっと芽生えはじめていたのも、その時分。

お酒とともに、味を覚えはじめたすこし苦いコーヒー。
仲間とのバカ騒ぎの対極で、ひとり気を鎮めるような時間を、求めはじめたりもしていた。

当時暮らしてた東京は、喫茶店の残党のようなものが主流で、"カフェ" なんてものは、ほとんどなかったようにおもう。

北米旅行が、その原体験だった。
フランス圏ケベック州。

洗いざらしのTシャツに、無造作な引っ詰め髪のスタッフらが、特段の気負いもなく給仕する。
世代性別問わずの客たちは、あたかも、そこが住処のように、寛いでいた。

空間もコーヒーも町に溶けいって、なにひとつ特別とはおもえなかった。でも、その全体がかもす雰囲気は、表層じゃ追えない、未知そのものだった。

あのカルチャーショックと記憶。

いつしか、それが自らの商いになるなんて、知る由もなかったけど、
ぼくのジンセーひとつひとつの岐路を遡ったところで出逢ってしまうskの源流。
そのひとつなのだろう。
 

あの地、あのとびらの向こう側にあった運命の不思議さ、をおもう。


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